まさかの2025年になって実写映画化した、石黒正数先生の傑作短編漫画「ネムルバカ」。
原作ファンのみならず、多くの映画ファンの間でも大きな話題となっています。本作は、斬新なストーリーと個性豊かなキャラクターたちが織り成す世界観、特に「鯨井ルカ」と「入巣柚実」という二人のキャラクターの複雑で尊い関係性が魅力。その背景や今後の展開について徹底的に考察していきたいと思います!

以前から原作本のファンだったのですが、映画鑑賞を機にネムルバカへの想いが急激に盛り返してきたので、このタイミングで新しく供給された情報も交えながら、改めて原作の気になる点について考察をしてみます!
- 『ネムルバカ』のあらすじ
- 考察①:ラストシーンのその後、先輩と入巣は再会できるのか?
- 考察②:ラストのライブシーンは何だったのか?
- 考察③:ネムルバカ 先輩と入巣の関係性
- ネムルバカ 原作と映画の違い
- 時代設定
- ルカと入巣の性格
- 炊飯器のくだり
- 田口について
- 入巣が寿司嫌いになったエピソード
- 古本MAXのビデオ買取のシーン
- 仲崎の外見・設定
- ピートモスのライブにいった時のエピソード
- 入巣のゲロ
- ゲロの翌日
- 内職バイト後のキャッチボール
- 入巣の理想の出会い方(妄想)と現実
- 田口が伊藤に相談するシーン
- 田口が入巣に大学で冷たくされるシーン
- ルカと入巣が実家に帰省するくだり
- バンドメンバーとの楽屋裏のシーン
- 仲崎との食事シーン
- 店長の自作の新曲
- 入巣と仲崎の帰り道、誘われて困っている入巣をルカが助けに入るシーン
- ファミレスでの4人のシーン
- 田口が入巣に殴られるシーン
- 海辺でのシーン
- 「お前が大事だよ」のシーン
- OTレコーズでのシーン
- 荒比屋・粳間・ルカの会話シーン
- その後、寮に帰ってきたルカと入巣のシーン
- 荒比屋・粳間・ルカの会話シーン②
- ルカのアーテイスト名
- 「A」のライブ会場
- ルカのパフォーマンス~ネムルバカ歌唱まで
- ネムルバカ演奏中の演出について
- ネムルバカの歌詞
- 元気でね、のシーン
- 入巣と後輩のラストシーン
『ネムルバカ』のあらすじ
大学の女子寮で同じ部屋に住む後輩・入巣柚実(いりすゆみ)と先輩・鯨井ルカ(くじらいるか)。
入巣はこれといって打ち込むものがなく、何となく古本屋でバイトをする日々。一方で、ルカはカツカツの生活の中でインディーズバンド「ピートモス」のギター・ヴォーカルとして、自らの夢を追いかけている。
二人は緩くも心地よい日常をだらだらと過ごしていた。
そんなある日、ルカのもとに大手音楽レコード会社から連絡が来る。
その日を境に、2人の日常は大きく変化して…。
『ネムルバカ』のテーマ

考察①:ラストシーンのその後、先輩と入巣は再会できるのか?
これはずっと気になっていた点である。
またどこかでルカ先輩と入巣が再会して欲しい…これは私のかねてからの願いだ。
だが、願いだけではなく私が二人の再会を確信するに至った根拠が幾つかあるので以下に挙げていく。
原作の構成について
まず、原作の各話のタイトルには小ネタが仕込んであり、実はしりとりで繋がるようになっています。
第一話「ネムルバカ」
↓
第二話「バカショウジキ」
↓
第三話「ジキュウセン」
↓
第四話「センニチテ」
↓
…
↓
最終話「ゲンキデネ」
そして最終話「ゲンキデネ」が第一話の「ネムルバカ」に繋がる、というループ構造になっている。
それを踏まえて第一話冒頭に書かれた、入巣のモノローグ『かくして先輩は失踪を遂げる』を改めて読むと、このモノローグは単に第一話の先輩の家出のことを指しているのではなく、実は物語ラストに描かれた先輩の失踪のことを語っているという構成になっているのだ。
…と、ここまでは割と有名な話なのだが、今回考察をしていて、もっと大事なことに気付いてしまった。
それは、第一話の内容である。
第一話で先輩は田口の車の鍵を盗み、役に立たない萌えナビとともに車を走らせ、自分でもどこに居るのか分からない場所に辿り着いてしまう。
これは、自分の夢を抱き奮闘しながらも、先の見えない状況の中で迷走している感覚に陥っている「先輩の心境」を表現しているのだろう。
そして車はガス欠、ついでに足も痛め、帰る手段を無くす始末。その場から動けこともできず、車の中でひとり泣く先輩。
それを助けに来たのは誰だったか? 思い出して欲しい。
そう、それは『入巣』だ。
入巣の能力について
入巣は先輩の家出先が分かった理由として、「テーブルの上に置いてあった小銭がヒントであり、寮からその金額で乗っていけるバス停がここだから」と推理している。
実際、これは入巣の思い込みだし、ギャグ寄りに描かれているのでサラっと読み流してしまいがちだが、よくよく考えるとこれは奇跡に近い。先輩ですら自分がどこにいるのかわかっていないのに、入巣にはわかるのだ。
他の部分はそれなりにリアリティーをもって描かれている第一話の中で、ここだけは違和感を感じる。
とすると、これは偶然とか奇跡というより、先輩を探し出せること自体が『入巣の特殊能力』として提示されているのではないだろうか。
最終話「ゲンキデネ」→第一話「ネムルバカ」に繋がっているということを先で述べたが、
もう一歩踏み込んで考えると、『最終話で失踪した先輩を、入巣が探し出す』ということが第一話の内容で暗示されているのではないだろうか。
(そしてこの説が真実であれば、改めて作品の完成度の高さに感銘を受けるほかない)
最終話ラストシーンについて
最終話のラストシーンでは、就活中の入巣と、新しく相部屋となった後輩の様子が描かれている。
言うまでもないが、「寝ている先輩を起こす後輩」という構図は、第一話の先輩と入巣をなぞらえたもので、最終話では反対に入巣が先輩側になり、口にするセリフもそのままルカ先輩と同じことを喋っている。
後輩がルカ(ピートモス)のCDを見つけ、一緒に聴きましょうと誘うが、入巣はそれを断る。
何か事情があることを察した後輩は、「元カレとの思い出のCDとかでしたか?」と聞くが、入巣はそれに答えず、入巣の表情だけを描いて物語は終わっている。
この入巣の表情についても改めて考えてみた。
悲しそうな顔というよりは、希望とか、前向きな感情があるように私には見えるし、もっと言えば何か意思を持った表情に見える。だから、恐らくそういった切ないエンドではないのではないだろうか。
(シンプルに、「とても大切な思い出だから自分の胸の内だけにしまっておきたい」という感情の可能性もあるが…)
仮に悲しい感情があったとして、アホで裏表のない素直な入巣の性格からして、それを隠してあんな風に綺麗に笑えるだろうか?とも思うのだ。
そのため、最終話→第一話へ繋がるという話の中でも上述したが、入巣には、「先輩とまた再会できる」という確信があるのではないか、という考察に至った。
もしくは、すでにこの時点で、こっそり先輩と会っているのかもしれない。
そう思う根拠は、入巣の言動が先輩と酷似してきていることだ。(ミラー効果)
ミラー効果とは?
心理学・コミュニケーションにミラー効果という言葉があります。
会話中に相手の身振り手振りや表情、言葉遣いを無意識に模倣する現象。これにより、相手との間に信頼感や親近感が生まれやすくなるのです。
この時点で入巣は、先輩と1年以上接触していないことになるが、1年以上実際に会っていない人の影響があんなにも顕著に現れるものだろうか?
ここまでのシンクロ率を見せるということは、この時点で実は入巣は先輩と再会を済ませていて、頻繁に会っている可能性もあるのではないだろうか。(※トンデモ論)
逃走中の先輩は世間でも有名人のはず。(売れていた歌手であり、ツアー途中で失踪した尋ね人)
そのため、入巣との繋がりを知られる訳にはいかない。(どこから情報が漏れるかわからない)
さらに、ピートモスのCDを聴かれるのも拒否(先輩をプロシンガーとして売り出すために隠蔽された過去がバレる可能性がある)し、後輩の問いに何も答えなかった、と考察できないだろうか?
ちなみに劇場版ではエンドロールで、後輩が居ないときに、こっそりイヤフォンで先輩のCDを愉しんでいる入巣の姿が映されているのだが…
なんだかこの入巣、楽しそうで、余裕があるのだ。
これってもしかして…正妻の余裕…ってコト!?
※それにしても、なかなかの激重感情を感じました。
新装版表紙について
絵柄が変わったこともあり、一瞬私は表紙の茶髪のキャラクターが誰だか分からなかった。(私だけだろうか…)
だが、映画も見て、一通り本を読み終えると、やはり入巣だった。当たり前か…。

まず、入巣の肩からさげているスマホのポーチショルダーは、連載当初には世に出ていなかったアイテムだ。
つまりこれは時間の経過を表していて、入巣の外見も変わっているのも、(トレードマークであった髪型・髪色の変化)数年後に二人が再会したイメージなのだと判断した。(判断は自由である)
※実写の二人に寄せた絵なのでは?とも一瞬思ったが、外見的にそういう訳でもなさそう
背景には月が描かれていることから、きっと昔のように二人で飲んで楽しそうに帰宅する場面なのではないだろうか。
そしてもう一つ描かれているのは、楽器のシールドである。
シールド自体は前々からたまに背景に描かれていることがあったが、これを見てシールドだと瞬時に判断することはできないはずだ。なぜならシールドの先端は表紙上からは見切れており、表紙をめくるとそれがシールドであることが分かるような仕様になっている。
また、シールドは一般的には黒色のイメージが強いと思うが、あえて赤いシールドを描いているのは、やはり「赤い糸」を意識しているのではと考察せざるを得ない。(と言い張る)(言い張るのは自由)
赤い糸だとする根拠はもう一つある。
月刊COMICリュウ2010年4月号ネムルバカ表紙イラストにおいても、二人が共有しているイヤフォンの色は赤色なのだ。
劇中での二人の関係性を見て納得できるように、つまりこれは「先輩と入巣は赤い糸で結ばれている」という比喩なのではないだろうか。
だから、いったん別れても絶対また再会できる、ということだ。
会えない時間は二人にとっての『間奏』。
もう一度出会うことで、曲は再び紡がれていく。
ここまで言っておいてアレですが、新装版表紙絵については、単に石黒先生の絵柄の変化という可能性も捨てきれません!!!というか、新録書き下ろしも読んだけど先生色々忘れちゃってない…!?
考察②:ラストのライブシーンは何だったのか?
そもそも論ではあるのだが、改めてここの部分を考えてみた。
先輩は、音楽プロデューサーから、一切プロフィールを明かさない謎のアーティストとしてデビューしめ欲しい、70年代アイドルくらい神秘性のある存在になって欲しい、と要望を受けていた。
これは、全力でバンドをやっていた先輩からすると、受け入れがたい話のはずだ。
そして聡明な先輩ならば、この話を受けて今後どうなるのかが分かったはず。
だが先輩はこの条件をのみ、そしてデビューした。
それから一年後、初ライブで失踪。
当然、この時点で先輩の人生は捨てたも同然だろう。もう音楽を生業にしていくことは出来ない可能性が高くなるからだ。それなのに、どうしてこんな愚行にも思えることをやってのけたのだろうか?
ここで、全く別の観点から考えてみた。
この動機に、入巣が絡んでいるとしたらどうだろう?
「何者でもない自分」
「誰にとってもモブで終わる人生」
入巣はそんなことを悩んでいた。
そんな入巣に、先輩は真摯な態度で「私はお前が大事だよ。」と伝えていたが、
それが入巣に正しく伝わっていたかどうかは、直接読み取ることができない。
(あえてそういう描き方をしているのではないかな、とも思った)
そこで思ったのは、この入巣の問題が解決された瞬間とは、あのライブで先輩がネムルバカを歌ったときだったのではないかということだ。
先輩は、アンコールのあと「ネムルバカ」のクレジットとして、「入巣柚実」の名前をはっきりと言い放っている。
名曲とされている「ネムルバカ」は、先輩一人では作れなかったし、入巣というピースがあって、そして先輩が居て初めて完成した。
だから、決して入巣が、「何者でもない」なんてことはないよ。私はお前が、大事だよ。
そういうメッセージでもあったのではないかと推察できる。
先輩からのメッセージを受け取った入巣は、「先輩」と叫ぶ。
言いたいことが多すぎて、でも上手くまとまらなくて、この「先輩」という言葉にいったいどれほどの感情が込められているのだろうか。計り知れない。
その後、原作では二人の心が通じたコマが描かれている。
そうなると、先輩のアーティスト名が「A」(劇場版だと「A。または人間、」)であったことにも、意味を帯びてくるのだ。※入巣が自分のことを皮肉交じりに一般人Aと比喩していたシーンがあった。
先輩はマーケティングの戦略通りに、謎の美少女Aとして売り出された。
このことは、実は入巣の抱えていた悩みとも通じていたのではないだろうか。
そして先輩自身もこの寸劇を通じて、この「誰でもない存在」から、「鯨井ルカ」を取り戻すことが出来たのではないだろうか。
ルカはこの計画をいつの時点で考えていたのか?
もう一つの気になる点が、これだ。
入巣のセリフにも、「一体いつから目論んでたんだ… こんなイミのない…を…」というものがあるのだが、改めて考えると、確かに気になる点ではある。
考えられる可能性としては、ざっくり
①デビューからコンサートまでの間
②デビューする前
のどちらかになるだろう。
それぞれ細かく見ていこう。
①であった場合
先輩に、こういう心境の変化があったということになる。
本当に自分がやりたい方向性ではないものの、自分の夢を叶えるためにデビューを承諾した
↓
だが、実際に活動してみて、「やっぱりこんなの無理。やめよう」と思った
普通に読めばこちらの可能性が高いと思うのだが、先輩というキャラクターを考えたときに、それはいささか浅はか過ぎる行動ではないだろうか?という違和感が残るのだ。
②であった場合
具体的なタイミングとしてはいつなのか?を考えたときに、思い当たるのは「なんだ 思ったより やわらかいんだ」のシーン時点しかないだろう。(映画ではこのセリフはカットされているが、レコード会社に呼ばれて、寮に帰って来た後入巣を抱きしめているときのシーンである)
この時点で計画していたということになると、入巣を抱きしめたときのルカ先輩の表情が意味するのは、『この計画を遂行するという決意』という風に解釈することが出来るかもしれない。
ただ、こんなことをすれば先輩の人生は確実により険しい道となるので、入巣のためだけに何もかも投げうるというだけの相当の激重感情があったということになってしまうだろう…。個人的にはそっちの方が美味しいけど
なので、
ここは原作者の石黒先生に、ぜひ真相を明かしてもらいたいところである…!
考察③:ネムルバカ 先輩と入巣の関係性
先輩の性格について
先輩は、一見すると芯を持って夢のために邁進する強い人間のように見える。
「先輩の辛辣な言葉を指針に生きて来た」という入巣の言葉からも分かる通り、自分にストイックだし、他人にも物怖じせず本質を突いた言葉を投げる。
だが、入巣がそのことをボヤくと先輩はこう言う。
「あれは…自分に言ってたんだ」
「そりゃ…私だってずっとここでフワフワと暮らしてたいよ。…でもそれじゃダメだ……」
「どっかに風穴あけなきゃ閉じっぱなしなん…」
きっと先輩も、自分という人間が、入巣が思っているほど遠い存在ではないと思っている。
入巣と過ごすフワフワして楽しい日常をずっと続けたいと願う気持ちと、それでは前へ進めないという気持ちの狭間で葛藤していた。
現に、音楽プロデューサーから契約の話を持ち掛けられたあの日、先輩の精神状態は極めて不安定になっていた。
また、番外編「春香と父さん」で描かれていた過去の先輩の姿は、およそ入巣の前で見せるクールで達観した先輩ではなく、内弁慶で人見知りの、末っ子気質の子だった。(そのギャップに驚いた読者も多かったのではないだろうか。)
先輩の本来の性格は「春香と父さん」で描かれた先輩であり、決して強い精神の持ち主ではないことが分かるのだ。
※余談ではあるが、これは同作者の作品「それでも町は廻っている」の紺双葉(紺先輩)というキャラクターにおいて顕著な傾向にある。
ルカとほぼ同じ属性・外見を持つ紺先輩という人物は、一見クールで人を寄せ付けないところがあるが、実は甘えただったり精神的に弱い部分があり、後輩かつ親友の歩鳥の方が先輩の世話を焼いている。
ちなみに、歩鳥の苗字である嵐山(アラシヤマ)を一文字ずらすと「イリスユミ」になるのは有名な小ネタであったりもする。
「ネムルバカ」の歌詞から読み解く先輩の想い
第一話、入巣が先輩を迎えにいったシーンでこんな会話がある。
「そんなことより なぜここにいると分かった?」
「探しに来て欲しかったんでしょ?ヒントが分かりやすすぎ…ですよ」
「あ?自分でもどこにいるのか分かんねーのに」
一見、すれ違っている二人の会話のようだが、実はこのセリフのやり取りは核心だったのではないかと思う。
つまり先輩は、本当は入巣に(迷子になっている)自分を探しに来て欲しかった。
(だが、入巣の前では弱音は吐けない。強い先輩でいたい。)
映画化にあたり、作者の石黒正数先生が作詞したネムルバカの歌詞の全貌が明らかになったが、
そんな強がる先輩の気持ちは、歌詞の中でも表れている。
※主題歌『ネムルバカ』より一部抜粋
魔物、 化け物、 ヒーロー、 悪党
僕は何でもないまま
あんまり時間もないみたいだから
寝顔に聞いているんだよ
感覚が鈍ったままで
僕の指が触れる
柔らかくて純粋な
もの……
ネムルバカ
ボクはまだ大丈夫?
答えづらいだろうから 今聞いてるんだよ
もし僕が食べようとした
まんじゅうに毒があったら
お前が教えてくれ
頼むぞおい! ネムルバカ
答えてくれ…
答えてくれ…
先輩が本音を打ち明けているのは、相手(入巣)が寝ている時であり、相手が起きているときには決して伝えていないことが分かる。
※先輩の引っ越し前夜のときも、入巣が寝ているときに先輩が本音を漏らしていますね。
守るポジションのキャラの方が実は精神的に弱くて、反対に、守られているポジションの相手の方が実は強く、相手を支えてる…ってのは結構あるあるですよね。
また、前述した入巣の特殊能力のことを考えると、最終話での失踪のときも先輩は、
「いつかみたいに、入巣に自分を探して欲しい・追いかけて来て欲しい」と思っているかもしれない。
先輩は最後まで入巣に弱いところを見せずに去ったし、デビューしてからも連絡は取っていなかったと思われる。
きっと先輩の方から、入巣のところへは行くことは出来ないだろう。
なぜならば、
先輩を探し出すのは、入巣の役目なのだから。
—
2人の関係に絞ったまとめもしています。
ネムルバカ 原作と映画の違い
ネムルバカの原作と映画の相違点について、以下のとおり、わかる範囲でまとめました。
時代設定
映画版は、映画制作時点と同じ現代の設定になっている。そのため、映画に登場する小道具などは現代に合わせたものになっていた。
(例えば原作では、寮でプレステっぽいゲームのコントローラーを持っている描写があるが、映画版では入巣がNintendo Switchでスイカゲームをやっていた)
冒頭のスイカゲームの音楽がほっこりしましたね。
ルカと入巣の性格
ルカ
映画版は、原作に比べやや大人しめ・可愛い印象が強い。また、原作よりも寡黙な印象を受けた。
原作のルカはもう少しアグレッシブで、表情も割と豊か。
入巣
映画版では、原作の「田舎から出てきた純朴感」「タヌキ感」が弱まり、少し毒っ気を帯びたような性格に。
よりリアルな現代の女子大生像を意識している印象。
炊飯器のくだり
映画版では、炊飯器が欲しいと先輩に話す入巣と、入巣のためにライブ終わりに炊飯器を買ってきたルカのエピソードとなっているが、これは映画版のオリジナル。(原作では、ルカが寮に引っ越してきた時点で炊飯器を使っている。)
田口について
冒頭で入巣が、「田口は私の細かい情報をよく覚えている」と語るシーンがあるが、これは映画版オリジナル。※原作では、ルカ「あいつお前にホレてるっぽいよな」入巣「先輩もそう思います!?私も…告られ待ちではないかと思ってるんですよ~~」という会話のみ。
入巣が寿司嫌いになったエピソード
原作では、「小さい頃、寿司屋に行ったときに、自分の目の前で板前がもう一人の板前を包丁で刺し殺すという惨劇が起き、それ以来生魚がトラウマになったから」という理由だった。
映画版では、「幼馴染家族と食事にいった際、初めて口に入れたホタテが食べれず、お皿に戻して置いていたら幼馴染の男子がそれを食べてしまったから」というものに変更されている。映画版の方がある意味グロい話ではあった。※個人的に
古本MAXのビデオ買取のシーン
映画版では買取希望のおじさんが、持ってきたビデオの重さを入巣に認識させるシーンがあるが、これは映画版オリジナル。
原作では割とあっさり「お前にやるわ!」という流れになっている。ちなみに原作のおじさんは関西弁を喋る小柄で小太りのおじさん。
仲崎の外見・設定
仲崎(古本MAXの同僚)は、原作だと細身でセンター分け・茶髪と、インテリぶった神経質そうな見た目であるが、映画版では黒髪短髪パーマ・肥満体型の男性である。また、YouTubeのチャンネル運営をしており、6000人の登録者が居るというのも映画版オリジナル設定。YouTubeというのが現代らしいですね。
ピートモスのライブにいった時のエピソード
ピートモスの演奏が終わった後、入巣がほかの観客たちに、アンコールがないことをバカ正直に伝えたせいで揉みくちゃにされながらライブハウスを出ることになってしまったというエピソードが映画版ではカットされている。
入巣のゲロ
二人の飲み会後。原作では、女子寮の玄関先で入巣が「ゲーでる…」と言いだし、ルカが焦った顔で「トイレまであと数メートルだから我慢しろ!」と言ったものの間に合わずゲロ。映画版では普通に路上でゲロっていた。
ゲロの翌日
原作では「わぁぁ~っ 倫理学!法学!社会心理学!全部出席取れなかった」というより大学生らしいセリフだったが、映画版では「レポートが出せなかった」という風にシンプルに変更されていた。
内職バイト後のキャッチボール
原作ではルカが入巣を気遣って、入巣のストレス解消のためにキャッチボールに誘うのだが、このくだりはカットされている。
※ちなみに、キャッチボールで入巣が投げたボールが公園内でゴルフをしていた中年男性の顔にあたるのだが、実はその男性が、二人が内職で磨いていた木彫りの像の依頼主の金持ちだったというオチになっている。
入巣の理想の出会い方(妄想)と現実
原作第3話。居酒屋で飲んでいるシーン。
入巣が恋人との理想の出会い方を語るシーンがあるが、映画版ではカットされている。
ちなみにこの話のオチは、居酒屋で入巣に絡まれた店員が後日道端で入巣を見かけ声をかけるが、入巣はその男性のことを1ミリも覚えていないばかりかストーカーだと思い込み、怖くて泣きながら帰った入巣を先輩がヨシヨシするというもの。
田口が伊藤に相談するシーン
原作では田口と伊藤が大学構内のベンチで話しているが、映画版では場所が河川敷に変更されている。(鯉を見守るサークルみたいなのも映画オリジナル)これは、独特すぎて結構好きだった。
田口が入巣に大学で冷たくされるシーン
原作では講義室から出てきた入巣に声をかけるも、冷たくあしらわれる田口の描写があるが、映画版ではカット。
※全体的に、映画版では大学生活に関する描写がカットされている。(進級祝いや、成績表の描写など)
ルカと入巣が実家に帰省するくだり
原作第4話。ルカと入巣が実家に帰るため、荷造りをして夜行バスで帰るエピソードは映画版ではカット。
ちなみにこの話の中で、夜行バスが初めてという入巣のためにルカは護身用の十徳ナイフを渡しており、先輩が入巣を大事に思っているのが伝わる描写となっている。
バンドメンバーとの楽屋裏のシーン
ライブの出番の待機中、くだらない話をしているメンバー達のシーンは映画オリジナル。
映画版では全体的にバンドメンバーの描写が厚めに描かれている。ピートモスファンにとっては嬉しい変更点。
仲崎との食事シーン
原作では仲崎はパスタを食べているが、映画版では違うものを食べていた。原作ではくちゃくちゃと大きな音を出し、口から食べ物をこぼしながら喋るなど、映画版よりもキツイ描写になっている。
店長の自作の新曲
原作ではアコースティックギターとハーモニカだったが、映画版ではリズムトラックを流しながら自作ラップを披露する、という形に変更されている。これも現代らしい変化。
入巣と仲崎の帰り道、誘われて困っている入巣をルカが助けに入るシーン
ここのシーンは完全に映画オリジナル。いいシーンでしたね。
ファミレスでの4人のシーン
田口が入巣に向かって「底が浅い」と言っていたがこれは映画オリジナル。原作ではただ「アホにみえてきた」と言っているだけなので、映画の方がより辛辣だった。
また、田口がルカに向かって「俺ってどうですか?」と直接聞くのも映画オリジナルである。
原作では、ルカが「それから私は男に興味ないから諦めろ」と言ったことで、ルカが同性愛者だと3人から勘違いされそうになるくだりがある。
店を出て、泣いている入巣をルカが鳥のおもちゃや変なサングラスで慰めるシーンは映画オリジナル。
田口が入巣に殴られるシーン
原作ではファミレス後に移動中の車の中で、運転している田口を入巣が後部座席から殴っているが、映画版では出発前に駐車場で田口を殴っている。
ちなみに原作では車内で入巣が田口を殴ったあと、車がガードレールにぶつかって停車。危険な行為をした入巣に対し、ルカが「あぶねーだろが何やってんだコラー」と涙目でキレて、ダメ出しするシーンがある。
海辺でのシーン
原作では夜の海だったが映画版では昼の海になっている。砂浜でサックスを吹いている謎のモブは映画版オリジナル。このサックスおじさんが何を表現しているのか、他の人の考察が気になるところ。
映画版ではこの海辺のシーンで伊藤がルカに殴られたが、原作では冴羽女子寮に着いたあと、車を降りたルカが車内にいる伊藤に殴りかかっていた。(ここでは対比的に入巣の方がルカをなだめている)
「お前が大事だよ」のシーン
ルカが入巣に向かって「自分の価値をそう自分で低く見積もるなよ」「私はお前が大事だよ」と慰める寮でのシーン。
原作ではルカは、ベッドで仰向けになっている入巣に向かって、入巣を上から見下すようなアングルで「私はお前が大事だよ」と言っているが、映画版では、ベッド下にいるルカを、ベッドの上にいる入巣が見下ろすようなアングルに変更されている。
映画版ではここでぶつ切りになってここのシーンは終わっているのだが、原作では「お前が大事だよ」と言われた後の赤くなった入巣の表情が描かれ、そのあと照れ隠しのように入巣がルカをからかって話が終わる。
OTレコーズでのシーン
原作ではルカが一人でОTレコーズに向かうが、映画版ではバンドメンバー全員でОTレコーズのビルに来ている。
また、受付でルカが用件を伝えるシーンで、原作では普通にスラスラと伝えられているが映画版ではかなりドモっている。そのため、ルカがかなりコミュ障みたいな性格に見える。
映画版では、「バンドメンバーが自分らも呼ばれたと勘違いしており、演奏を披露しようとするが、荒比屋と何だか会話が嚙み合わない」というシーンが続き、ここの尺がかなり長くなっている。ここも映画独自のピートモス深堀ポイント。このシーンのおかげで、ピートモスのメンバーの良い奴感が爆上がりする。私はした。
荒比屋・粳間・ルカの会話シーン
プロデューサーである粳間の、「キミがやりたい音楽は『売れた』後でもやれるんじゃないかなぁ」というセリフがカットされている。
その後、寮に帰ってきたルカと入巣のシーン
入巣を抱きしめたあとの、「なんだ 思ったより やわらかいんだ」というルカの台詞と、そのあとの困惑した入巣の「えっ ちょ…」がカットされている。
荒比屋・粳間・ルカの会話シーン②
原作第7話。冒頭、荒比屋・粳間・ルカの会話シーン。「A」についての具体的なマーケティングの方向性が語られているが、映画版ではカットされている。
ルカのアーテイスト名
原作では「A」だが、映画版では「A。または人間、」になっている。
「A」のライブ会場
原作では3階席まであるかなり広そうなホールだが、映画版では市民会館くらいの規模のホールになっている。
※これはルカが後にステージから失踪できるようにの配慮だと思った。
荒比屋・粳間が待機している場所も、原作では客席後方のスタッフルームのようなところだが、映画版ではステージ舞台袖になっている。
ルカのパフォーマンス~ネムルバカ歌唱まで
原作では、ルカはギターを持ちながら歌っており、ラストの曲が終わったあとそのまま続けてステージでネムルバカを歌いだすという流れだが、映画版ではギターをもっておらず、いったん舞台袖にはけた後、ギターを持ってステージに戻る…という流れになっている。
そのあとの、ギターを耳に当ててチューニングするのも映画オリジナルのシーンである。(引っ越しの荷物詰めのときに時計に耳を当てて音を聞いているのもオリジナルシーン)
ネムルバカ演奏中の演出について
映画版では客席にいるバンドメンバーが順番に(演出上だが)加わっていく、という演出になっているが、原作ではバンドメンバーについては一切描かれておらず、会場に来ているのかどうかも不明。

映画では、ピートモスのメンバーの自分たちのバンドへの熱い想いだったり、夢を追っていたあの頃に戻るという…滾りますね。テンション上がりポイントでした。
ネムルバカの歌詞
原作では
「もし僕が食べようとした
まんじゅうに毒があったら
お前が教えてくれ
頼むぞおい! ネムルバカ」
のあと、
「ネムルバカ 何黙ってんだ! 何か返事をしてくれ!!」
という歌詞があるのだが、劇場版の歌詞の中にはこの一節は無くなっている。
※原作ではこの「何か返事をしてくれ」と歌うルカに対して次のコマで入巣が「先輩!先輩!!」と声を上げる流れになっている。
元気でね、のシーン
ルカがステージから逃亡する直前のシーン。
映画では、「元気でね」というセリフになっているが、原作ではそのセリフは出てこない。「最後に先輩が私に何かを言ったように見えた」という入巣の語りがあるだけで、実際になんと言ったかは分からないように描かれている。(おそらく、この話のタイトルである「ゲンキデネ」だと思われるが)
入巣と後輩のラストシーン
「すみません…元カレとの思い出のCDとか そういうなのでした?」と聞く後輩に対し、原作では入巣は無言で表情だけが描かれ終わるが、映画版では「さあね」というセリフが付いている。
—

是非、みなさんもご自身の目で原作、そして実写映画を確認してみてください。

そして二人の関係について新たな気づきがあったなら、ぜひ教えてください!!
以上、こつめくん&ドンぐりでした。
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